この国は四季がある。 幼少の頃からそう教えられ、どこか誇らしく感じて生きてきた。
他の国も知らないのだから、そこに何の根拠もないのだけれど‥
ただ四季の移ろいは、この世界の美しさを私に教えた。
高度成長時代と呼ばれた時期を子供時代に重ねて過ごしました。
家電の普及、モータリゼーション、オートメーション、PCの台頭.. et cetera
今日に至るまで、その恩恵を享受したことは明らかだけれど、同時にそれは喪失の歴史であったと思う。
広がる野原、小魚と戯れた小川、その先を隠した森、雨が降ればぬかるんだ道‥ 私の原風景。
それらは容赦なく消えていった。 私は今もそれを求めてここにいるのだと思います。
不可逆な時の流れはこの地でも同じだけれど‥ 今、四季さへ私は失うようだ。
私の見ている場所、歩いている場所はとても狭い。 長さにして数キロの区間の千曲川の東側の段丘。
その段丘斜面と台上、その間に差し込む小さな谷、それらに残された小さな林や森。
たまには近傍の山に出かけることはあっても、9割以上の時をその中と傍らで過ごしています。

ここは一番近い段丘台上。 段丘は平均高さ100mほど。 家を出て10数分でここに出ます。
私もかつてはこの台上に住んでいましたが、今は段丘底、千曲川の傍らの住人です。
遠くに見える少し色づいた山並みは対岸の段丘斜面、さらに奥に連なるのは八ヶ岳連峰です。

この日は11月1日。 移り住んだ30数年前なら紅葉はピークを過ぎた頃でしたが、今は色づきも浅いです。

手つかずの天然林も残っていて、毎年フクロウも営巣しています。
その声は部屋でも聞けますし、たまには夜の散歩に斜面をのぼります。

台上には未舗装の道や野原も残っていて、季節の野草の時季をここで知ることも多いです。

段丘の台地は狭く、すぐその奥の山が迫ります。 地質的には秩父山系西端となります。
この山は同じ町内の茂来山にも繋がっています。 何度か試みましたが、険しく到達できませんでした。

台上にはお気に入りの桜が三本。 エドヒガン系の少し枝垂れる古木です。
根元から分幹しているので多く見えますが、三本の桜です。

気に入った場所で時を過ごすのが好きです。 だから移動距離はたいてい少ないです。
同じ場所で一日を過ごす‥すぐにできそうで未だできずにいます。 木の生き様は私の憧れです。

時間は二週間ほど飛びます。11月も中旬です。家から2㎞ほど千曲川を遡った仕事場にほど近い場所です。
同じように段丘斜面が続いています。 広葉樹は殆ど葉を落とし、落葉松が色づきを強くしています。

この辺りは千曲川と段丘斜面がほど近く、民家がほぼ一列に並びます。
この僅かな空間に県道と小海線(JR)が平行して走っています。

仕事場外から見た段丘斜面です。 すぐ横を小海線が通っています。 私は県道から撮影しています。

一陣の風が僅かに残った木々の葉を舞い上げました。 どこにもピンのない写真になりました(笑)

気を取り直して風を待つも、もう舞い上げる葉もないようで… 間もなくお昼休みは終了となりました。
写真を撮るために出かけるということがなくなりましたが、コンデジはいつも持っています。
カメラは私にとってのもうひとつの目です。 衰えた目と不自由なコンデジは良く似てると気に入ってます。
紅葉は秋を象徴する現象です。 それに異変を感じるようになって久しくなります。
最初は紅葉の時季が少し後ろになったという感じでした。 夏の暑さが厳しくなっています。
それは木々を含む植物にも同様なんだと思うに至っています。
以前も書いたように思いますが、光合成は25℃前後が最適な温度であるといいます。
植物は唯一の生産者であり、この地球(ほし)の命の根幹です。
私も製造業に従事しているので、何かしら製造できている気になる危うさはわかりますが、私たちは一方的な消費者に過ぎません。 植物の生きて成長することには消費が不可欠です。
ただそのためのエネルギーを自給できる術を植物は持っています。
その能力が強力で、余剰に生産されたものが全ての命を支えています。
その植物、とりわけ木々が窮状に晒されていると私は感じています。
四季のあるこの国では落葉広葉樹が美しい森を形成してきました。 落葉広葉樹は冬に葉を落とします。
それは厳しい冬を乗り切るための術です。
日照が短くなり生産が消費に追い付かなくなる前に、木々は葉への水などの要素の供給を遮断して自らを守り休眠します。 木々に遮断された後も、葉は光合成を続けるのだといいます。
木が受け取ってくれない産物が葉の中に蓄積し、それが化学変化して美しい葉の色を生むのだといいます。
なんとも複雑で巧妙な仕組みを獲得したものだと思います。
私は研究者ではないので定量的なことはわかりません。
しかし30度を遥かに超える高温化下の夏、葉を萎らせた木々を多く見ます。
夏の高温は容赦なく木々から水分を奪います。 弱った葉は抵抗力がなく、病気や食害が目立ちます。
かくして秋を彩った紅葉の繊細なメカニズムは機能を失ったかにみえます。
日が傾き気温も幾分落ち着いた季節、木々に残った葉はすでに枯葉や朽葉ばかりが目立つことになります。
私の周囲の多くの場所で、かつては目を見張ったような紅葉が姿を消しています。
長い時間の中では、木々も遷移を遂げて、新しい風景が生まれることでしょう。
人間のことですから、新たなテクノロジーを用いて対処しようとすることでしょう。
かつての紅葉の美しさを知らない世代なら、そこに何の違和感も持たずにすむことでしょう。
SF世界ではこの地球(ほし)を離れても生きようとする人の姿が描かれます。 ‥それでも
私は秋という季節が好きです。 自分が秋生まれだからでしょうか?
厳しい時を生き抜いたことを誇るように燃え上がるような紅葉を纏う木々‥
人生の最期にそれを失うことが とても寂しいです。
※写真はクリックで拡大致します
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