共に生きた木‥  ミズキ

  この地に暮らして26年の月日が過ぎました。
  過ぎた時間を、木々の成長やまた衰退にさえ、自身を重ね見てきたように思います。
  むろん私より長く生きた木々も周りには多いですし、そこに流れる時間は同じに測れるものではありませんが。
 
  実生から見て来た木々は、途中で消えていくものも少なくなかったし、残るものも若木(おさなぎ)のままだったり‥
  ただ、もしかしたらほぼ同じ時間を過ごしたのではないか‥ そう思っている一本のミズキがあります。

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  写真では光って分かりずらいのですが、この写真のほぼ縦いっぱいにこのミズキは花を咲かせています。
  一年ごとに大枝を輪生させるミズキは、水平に広がる花の段を数えると、おおよその樹齢がわかります。
  (この木は周りの木々との関係で片持ぎみになってますが‥)  
  樹高は目測で12m以上はあって、15mには届いてないくらいかとみています。

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  下から二段目、おそらくこの木の力枝となっている大枝は、一番多くの花を咲かせて見事です。

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  年ごとに幹の生育長も枝ぶりも違うので、正確に段を数えるのは至難です。 今年で19段か、20段目‥ かな?

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  陽樹のミズキは最初期の成長が遅いので、気づけたのが5年目くらいなのかなと思います。
  その背丈は私がちょと見上げるくらい、花にはまだ早い新葉のころでした。  

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  写真の真ん中あたりに、このミズキがあります。 人家の間に見えますが、木々は一段上から森をつくっています。
  移り住んだ時に、ミズキの立つあたりの林床をさんざん歩きましたが、この木は見つけられませんでした。
  実生から5年で気づけたとして、枝の段数が20段で20年。 併せて25年、共に生きた気がするミズキです。







  明るい緑が深い緑へと移ろう時、藤の穏やかな彩りが周りの木々に吸い込まれるように消える時。
  遠目にもはっきりとした高さと大きさで、里山に最後のコントラストをつけるミズキの花が咲きます。

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  とても成長の早い樹です。 ほぼ30年で樹高の成長を止めるといいますから、何だか人を見るようです。
  背の高いものも多いのですが、たいていは若い樹で、私の方が年嵩であることが多いです(笑)

  ミズキの詳しくはいかようにも調べられますから、本にはない(私の知る限りですが)ミズキのことを‥
  
  春の森でミズキは明るい葉を大きな蝶のように広げます。 その上は空が開けていて、その葉は陽を透かします。
  
  蕾の頃なら横に開いている葉を、花の開花につれて下向きに下ろします。 花の存在を全てに知らしめるように。
  
  そして鳥たちが好きな実が赤く色ずく頃、その葉を再び平らに戻します。 今度はその実を知らせるように。

  秋黄葉の頃、複雑にしかし上品に染めた葉を再びゆっくり下ろします。 それは周りを温かい色で照らすように。 

  これが私の知る私の周りのミズキの姿です。 お近くのミズキたちはいかがでしょうか?



                         ※写真はクリックで拡大いたします。



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by moraisan | 2016-05-26 21:37 | 山野草・樹木 | Comments(14)
Commented by mayumis39 at 2016-05-26 23:04
初めてミズキを教えてもらった時は、とても大きな木で感動したものです。
でも、その後、一人ではそこへたどり着くことが出来ず残念なのですが・・・
樹形の特徴を教えてもらっていたので、ほかの場所で(一人の時に)出会うと、
とても嬉しくなったのでした。
今年は、いつもの木も花が少なかったように思いまいした。
実が生ったころ、その葉がどうなっているのか確かめてみたいと思います。
Commented by moraisan at 2016-05-26 23:30
>mayumi さん、こんばんは。
ミズキはお日様が大好きな樹です。
ミズキのある場所なら、そこは必ず日の光が届いていて、深い森もそこだけは明るく開けているはずです。
ミズキの葉の不思議な動きに気づいたのは、この地に来てからです。いつも同じ森、同じ木ばかりの中にいて気づいたこともあります。
ミズキは赤い実が黒くなっても、その枝は赤く染まって目立ちます。緑の葉の中にあって、それは鳥たちへの確かなSignに見えます^^
Commented by saheizi-inokori at 2016-05-27 11:14
この花もミズキでしたか。
近所のミズキはハナミズキなんですね。
アメリカヤマボウシ、、ああこんがらがっちゃう。
一本の木とともに生きていく、羨ましいような人生。
自分ではできなかった人生です。
Commented by moraisan at 2016-05-27 18:29
>saheizi さん、こんばんは。
とても仰るようなものではありません^^;
ただ眺め、その横を通るうちに 同じ時間が過ぎました。
Commented by sternenlied at 2016-05-27 19:20
ミズキってヒマラヤ以東に生える木らしいですね。
ドイツで見れなくて残念。ドイツ語では、段上になって層塔のような姿から、
パゴダという言葉も名前の頭についてるようです。
25年共に生きてきた木、なんか特別な親しさを感じてしまいますね^^

花の開花時には葉は下向きになって、花の存在を知らせ、
実が熟す頃には葉は平らに戻って実を知らせ、
黄葉の頃には周りを照らすように葉を下ろす。。。
よく観察されてます^^ 観察によって豊かで貴重なことに気づけますね。
つい最近ある本で小松恒夫の「ヒマワリの神秘」という
興味深い話を読んだところでした。彼も観察によって
気づいたことなのですが、芽が出て10日頃ヒマワリの
茎の頂に互生の葉が十文字状に重なってる面が一斉に
夕日に向けられていることを発見したのですよね。
ヒマワリは花が咲くずっと前から太陽と共に廻っていたのですよね。
日時計ならぬ生物時計^^ 植物の世界って知れば知るほど
奥深くなっていくようですね。
Commented by moraisan at 2016-05-27 22:28
>miira さん、こんにちは。
ミズキは典型的な鳥散布植物‥ こんな言い方は無粋につきますね。 鳥たちはこの木が大好きです^^
この実を好む鳥たちの行き来がないことが、ドイツに分布のないことに繋がっているのでしょうね。
私の見ている世界は狭いものです。 ただそれを ずっと見ています。
Commented by namiheiii at 2016-05-28 11:47
25年にわたりこのミズキの生長を仔細に観察し分析して来られたmoraisanさんの情熱に心を打たれます。その熱意はこのミズキにかぎらずこの森のすべてを愛してやまぬ深い愛情から来るものなのでしょう。私は花を見、樹を見てもうわべの美しさだけを見て来ただけでした。今は恥ずかしさと後悔の念でいっぱいです。
Commented by moraisan at 2016-05-28 12:53
>なみへいさん、こんのちは。
26年前の5月、ただこれらの木々、つくる森、それに連なる山々に惹かれてこの地に暮らし始めました。
今も目の前にその森を見ながら、そこからの音を聞きながら息をしているのです。
そんな中でふと知らされる事、そんな感じなのですよ。
仰るようなことで、どうしてあのようなお写真が撮れますでしょうか! 
私に欠ける視点、ものの見方‥ 多くをなみへいさんに教えていただきました。   ずっと感謝しております。

Commented by echaloterre at 2016-05-29 00:49
moraisanさんは、26年前の5月から、この森、このミズキと一緒に生きてこられたんですね。
私は、11年前の5月から今の町で暮らすようになり、11年間、窓を開けると目の前に現れる街路樹の姫りんごとともに、そして毎日のように散歩に行く公園の木々、マレの木々や畑、街の植物たちと一緒に過ごしてきました。
乗り物を使わずに、徒歩ですべての用事が澄むような小さな町ですが、その自然、木々たちについては11年経ってもまだまだ知りたいことがたくさんあります。
毎日のように見ていると、愛情が湧いて、特に窓の外から家の中をのぞいているように思える姫りんごには、いつも話しかけられているような気がします。
いつも行く公園には、ミズキの木がカジノキと隣り合って植えられています。
木全体が花のように思えるほど、今たくさんの花をつけています。
記事にしましたので、よかったら見にいらしてくださいね。
5月、そちらでは、田んぼの水に映る緑の色が優しく、ミズキを照らす日の光も穏やかですね。
Commented by mimi-74 at 2016-05-29 06:07
こんにちは!
テキストを読みながらお写真を拝見していると爽やかな気持ちになります。
お住まいの自然と共に、と言うよりも一体になって過ごして居られる・・・日々。
私は子供の頃はともかくとして、長い間の空間の後、今のところへ住むようになって又自然に親しむようになりました。この先どれくらいあるのかは分かりませんが、精一杯自然と共に過ごして生きたいと思っています。

先だって「米国では牧草を年に何回か刈り取る」お話をなさっておいででしたが、今日ラス・ガリナスでの光景で「なるほど」と思いました。
ここは大きな木がありませんのと、夏は野鳥が少なく、花も枯れてありませんので滅多に行きません。
前から遠くに小さく見える機械に気はついていましたが「何かしら」くらいに思っていました。
今日その機械が活躍している様子を見て、moraisanのお言葉を思いました。
お時間があります折にでもご覧頂けましたら嬉しく存知ます。
http://marin94904.exblog.jp/25852876/
Commented by moraisan at 2016-05-29 18:18
>りんご姫さん、こんにちは。
ミズキとカジノキの記事、拝見してきました^^
花の感じは少し南方に見るクマノミズキに似ているように感じました。
この地にはクマノミズキは見ないのですが、公園などにも良く見るミズキです。
26年前にこの場所にミズキはありませんでした。おそらく実生から数年目のこの木の、その花に気づいたので、それ以後その成長する姿を楽しみに見てきたしだいです。
私は強い日差しが少し苦手なものですから、写真も穏やかな光の中のものが多くなります^^;
Commented by moraisan at 2016-05-29 18:45
>mimimさん、こんにちは。
その裾にこのミズキがある斜面は千曲川の段丘斜面で、そのまま私の目の前にも続いています。
この斜面林はそのままいつも歩く段丘上の森やそれに連なる山々となりますから、たぶん私もその一部みたいに近いのです^^

ご紹介いただいた記事、拝見いたしました。
何か映画のシーンで見たことがあるような光景は、とてもスケールの大きなものですね。ありがとうございました。

ここには見渡すような風景はなくて、いつも濃密に積み重なるような世界に目を凝らしているようなところがあります。
それをほどき見ていると、無限に広がっていくようで‥ いつしかどこにも行けず、この森を見ています。
Commented by PochiPochi-2-s at 2016-05-29 21:13
こんばんは。
26年間、同じ植物を観察しながら過ごしてきた時間とは
いったいどのようなものなのだろうか?
植物の26年間。人間の26年間。
時間としては同じ長さの26年だけれど…

私も今の家に住み始めてからまる20年経ち、この春から21年目
入ります。来たときに植えた小さな野ばらのつるバラが、毎年毎年
ぐんぐんとのび、20年も経つと道に面した壁面をみごとに覆い、
道行く人たちの楽しみの一つになりました。
その間、大学生だった長男と長女は結婚しそれぞれ子供を持つ父親と
母親に、また当時 中学生になったばかりだった次男も30過ぎになり、
一人前の社会人になりました。私も40代後半から60代後半になりま
した。あっという間の時間のように思えますが、人間の20年、
あるいは26年は、「そこには 語りつくせないほどのあまりにも濃い
時間が流れているのだなぁ」と、改めて思わざるをえないような気が
します。

ブログ記事を読ませていただいて、このようなことをぼんやりと考えて
いました。
Commented by moraisan at 2016-05-29 23:31
> PochiPochi-2-s さん、こんばんは。
このミズキの場合、気づいた時がすでに4,5年生の木で逢ったと思います。
それから意識して見て来ましたが、ある日この木は私がこの地に暮らすのと同じ時を過ごしたように思うようになりました。
ですから実際私が意識して見て来たのは21~22年かと思います。
今は実生の頃から知る木も随分増えましたし、そんなミズキもあります。
ただやはり26年と言う時間は、もう決して繰り返せる時間ではないので、このミズキとの時間は私には貴重なものです。
あと数年すれば、この木は成長を止めた姿にいたるのかな? などと思っています。
何度も転居してこの地におりますから、26年は私にとって最長の地ということになりました。
木のように大地に根をはることは叶いませんが、可能な間はこの地の木々と森と共にあれたらと思っています。


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