ガガイモの頃‥
 
  新年、久しく歩くことをしなかった野山に 孫たちに誘われるまま足を運んだ翌日。
  再び一人歩けば、その花を見ないまま過ごしてしまった蔓草が、今まさに種を風にあずけようとしていた。

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  この種子の持つ冠毛は、私の知る限り最も繊細なもののひとつですが‥

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  どうしてこれがなかなか頑固で、容易にその種子を風に放そうとしないのです。
  タンポポのそれのように、まるで無風に感じる宙に漂うような そんな器用な真似は出来ないのだから‥
  確実に遠く運んでくれる風を選びながら これはきっと待っているのかもしれない。

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  なかなか風の強い日だったのに、いつしかその風も弱まって夕暮れ時が近づいていた。
  私は何べん、いや何十ぺん この蔓草の生涯を見てきただろうかと‥ ふとそんな事を思った。
  特徴的なその葉を見つけるのは初夏の頃、盛夏の中で見る花の頃、秋草の中に一度は見失って‥
  冬の枯野の中で再び出逢う そうそれは旅立ちの今の頃。

  昨年霜月の終わり頃、大切な年長の友人が闘病の末に 旅立っていってしまった。
  秋の気配の頃からは、共に特別な時間の中にいたようで 私たちは別れの頃を生きたように思う。
  再び繰り返すことのない、ただ一度きりの時々の頃を、二十数年の長きをお付き合いいただいた。

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  夕刻の光が低く斜めに照らすころは、今は会えない人を繰り返し思い出す。
  私は天の国などきっと信じてはいない。 でもこんな光の中では、彼らでいっぱいいっぱいになるのだ。



                         ※写真はクリックで拡大いたします。

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by moraisan | 2016-01-10 23:56 | 山野草・樹木 | Comments(10)
Commented by hamuneko7 at 2016-01-11 09:38
ご無沙汰しております。
蔓草の種子と青い空,また夕方の美しい光。
生きているということが,自然とともにあることだと感じます。
わたしも春に父を亡くしましたが,おりしも一斉に咲きだした桜に迎えてもらって
逝ったようで,悲しくもありましたがうれしい気持ちが勝っていたかもしれません。父はいつも花や木,柿など昔からある自然のものの陰にいるようです。
四季の巡りは本当にありがたく,縄文の頃からそれが続いてきたのだということにただただ感謝です。(ただその四季もなくなりつつあるようですが…)
今年もよろしくお願いいたします。
Commented by namiheiii at 2016-01-11 10:17
お見事です。ガガイモの種子を主題に神々しいまでの人生のストーリーを謳い上げています。単なる写真を超越した深い感動を覚えました。ありがとうございます。
Commented by moraisan at 2016-01-11 10:30
>hamuneko7 さん、こんにちは。お久しぶりです。
私が父を送ったのはもうだいぶ前の事ですが、親を失った時には、何だか急に世界の前の方に押し出されたような気がしたものでした。
暖冬なのでしょうね。遠くの山々の雪も頼りなく、地面を隠すほどの雪も未だない、不思議な季節の中にいます。
冬の枯野を歩けば、いかにも自分の見落としが多いことかを思い知らされて、今年こそはしっかと目を明いて‥などと、凝りもせず繰り返している年頭です。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
Commented by moraisan at 2016-01-11 10:41
>なみへいさん、長いご無沙汰をお許しください。
少しふれましたが、多くは手のつかない日々を送っておりました。
実に立派に生き抜いた故人を思えば、いつまでもぐずぐずとは生きられないとようやく思えるこの頃です。
今年もよろしくお願いいたします。
Commented by saheizi-inokori at 2016-01-11 10:59
私も夏に友を亡くしました。
その友のことも書いていただいたように感じました。
Commented by moraisan at 2016-01-11 11:30
>saheizi さん、こんにちは。
ご友人のこと、寂しくおつらいことでしたね。
生を受けて理(ことわり)を求めてさ迷い未だそれを知りません。
数えきれないほどのギブアップ、一度だけ多いネバーギブアップ‥ そんな繰り返しであったかと思います。
Commented by sternenlied at 2016-01-26 19:52
お久しぶりです。moraisanさんがまた更新されていることを知り嬉しく思います。蔓草がまさに種を解き放つ刹那を見事にとらえてらっしゃいますね。こういう瞬間にでくわすのも縁というものが必要ですね。そして蔓草の種も確実に遠く運んでくれる風との縁を待っているのでしょうね。生まれる生命もあれば逝く生命もあるこの世界。この記事を種から始め、ご友人の旅立ちで終えられたmoraisanさんのお気持ちを思うと感慨を覚えます。
Commented by moraisan at 2016-01-28 01:20
>mira さん、ご無沙汰しております。
いつもこちらの心情をおくみとりくださり、感謝いたします。
行方を求めて旅立つかに見えたこの種は、実はなかなか飛びたちはしませんでした。
私は何を期待して、何を待ったというのでしょう‥ 永遠がないように、この瞬間にも全てが持ちきれないほどあることも 確かなように思えました。
Commented by nenemu8921 at 2016-01-29 09:53
≪その葉を見つけるのは初夏の頃、盛夏の中で見る花の頃、秋草の中に一度は見失って‥
冬の枯野の中で再び出逢う ≫
ほんとうにそうですね。

美しい画像に、心に染み入る寡黙な言葉。
人を見送る体験はおおきな喪失感から逃れられないものですね。
晩秋に私もそのような想いをいたしました。
逝ってしまった人の視線を感じることで、日常を大切にしています。


Commented by moraisan at 2016-01-31 07:04
>nenemu さん、おはようございます。
こんな気ままな拙ブログを、見つけてはお訪ね下さり いつもありがとうございます。
彼岸の友が増えてしまい、知らずのうちに俯いて歩いていたのでしょう。
昨夜の事、夜道を歩いていて、フクロウの大きな声で我にかえりました。 
この季節に‥ と耳を疑いましたが、力強いその声に背筋をのばしたのです。


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