天毬‥  やどりぎ

  木の葉を落とした裸木に、宿り木の毬が目立ちます。
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  夏秋は繁みに隠れているので、私はその存在をまるで忘れてしまうようです。

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  ずいぶん高いクリの木に、この一群の毬はありました。 黄色い実は少ない冬の彩りです。

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  それは木の枝に根を下ろしているのですが、天から転げ落ちた毬を木々が受け止めたという風でもあります。


   



  
  ヤドリギにはしばしば「寄生木」の文字が当てられます。
  宿主の木に根を食い込ませ、水や養分を得ているようです。 寄生という言葉には良いイメージがないのでしょう‥ 
  ヤドリギの記述の中には、この木を憎々しく紹介するものも少なからず見かけます。

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  ヤドリギは常緑の葉を持ち光合成をするので、半寄生木ともいわれます。
  宿主となる木々が葉を落とし眠りについた冬こそが、陽光をたっぷり受けるだろう季節です。
  夏に宿木から得たものは黄色い甘い液果となって、餌の少ないこの季節、鳥たちの糧として返されます。

  共生(ともいき)と言う言葉を思います。 唯一、私が気づけたこととして‥
  共生(きょうせい)ではありません。 「きょうせい」の響きには、どこか利害と偽善が潜んでいるようで好みません。

  寄生、共生、あるいは自立や排他。 弱肉強食や食物的連鎖等々、人の目に映るいのちの姿は多様でも‥
  いのちは共に生きている‥事実として。 そして共に生きようとしている‥願いとして。  
  いつの日からか、私の目に映るいのちの姿は重ねてそうです。 この宿り木に見るものも、また。



                        ※写真はクリックで拡大いたします。  
    
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by moraisan | 2010-01-24 08:11 | 山野草・樹木 | Comments(14)
Commented by saheizi-inokori at 2010-01-24 12:44
きょうせい、ではなくてともいき、考えてみます。
Commented by moraisan at 2010-01-24 13:34
>saheizi-inokori さん、ありがとうございます。
『ともいき』とは仏教で用いられる言葉です。
どのいのちも他のいのちによって生かされている‥ そこから始まる生き方だと思っています。
Commented by odamaki719 at 2010-01-24 15:01
こんにちは✿
一年前の年末にヤドリギを花屋さんで買って生けましたが
翌日見事にバラバラに散って驚いた事があります。
飴色の美しい実でした。仕方がないので器に入れて飾りました。
あのヤドリギがこのようにして実がなっているのですね。
不思議で楽しいです。
Commented by moraisan at 2010-01-24 16:03
>odamaki719 さん、こんにちは。
花屋さんにヤドリギが並ぶことがあるのですね(+_+)
ヨーロッパの国であったかと思いますが‥冬でも緑のこの木をクリスマスの飾りにするそうです。
ヤドリギの実や葉は多くの鳥獣の糧だし、小鳥たちの巣作りや隠れる場所になったりします。
この木もまた、大事な森の住人に違いありません^^
Commented by 74mimii at 2010-01-25 07:08
「ともいき」にふさわしい美しいお写真に見入っています。
こちらでも木々の葉が散って「宿り木」が綺麗なので
何度も撮りましたが何時もボツになっています。
moraisanさんのお陰で活き活きとした姿を堪能させて頂けて
嬉しいです。感謝!
Commented by mira at 2010-01-25 14:54 x
可愛い翼のようなヤドリギの葉の形が好きなんですよ。
ヤドリギはドイツでミステルと呼ばれています。古くからヨーロッパの神話で聖なる植物とされ、ケルトの祭儀でも薬草や聖なる捧げ物として用いられていたそうです。moraisanさんも「天から転げ落ちた毬を木々が受け止めたという風だ」と書いておられますが、ゲルマン民族はヤドリギの種は神々が木に蒔いたもので、天からの贈り物だと信じていたらしいです。

ヤドリギの束はドイツでもクリスマスの飾りにされますよ。ヤドリギの束をドアの上に飾り、その下に丁度立っている女性はキスしてもいいという風習があります(笑)
Commented by moraisan at 2010-01-25 20:15
>mimi さん、眺めるほどには撮影しやすくないですよね^^;
たいがいは高い枝にありますし、枝もたいへん混み合っていたり‥
この混沌の中にあって、たしかに球になっているのが凄いなあ‥なんて思いますが^^
木を枯らすとまで言われたヤドリギですが、むしろ私にはヤドリギを抱く喬木たちが
誇らしげにしているように見えたりします。
Commented by moraisan at 2010-01-25 20:32
>mira さん、素敵なクリスマスのお話をありがとうございます^^
私がヤドリギの下にいた時など、レンジャク(彼らの好物です)のフンが降ってきましたが(笑)

不思議と大きな木ににしかヤドリギの毬はありません。
以前背の高くない川沿いのヤナギにこの毬ができているのに会いました。
間近に‥そう翼を広げた人のようにも見える‥葉や実を見ることができました。
木に対しては不釣合いなほど大きな毬で、私は少し宿主の木を心配したりしました。
数年の年月が過ぎたとき、枯れたのはヤドリギの方でした‥ 理由は分かりません。
でもとてもヤドリギが好きになりましたよ。
Commented by ハト at 2010-01-25 20:43 x
初めまして。miraさんのところではプラタナスやレンジャクとの出会いを伺い、私もすぐユーチューブで鳴き声を聴きながらmoraisanの場面を想像して愉しみました。
私も「宿り木」には寄生のようなイメージを持っていました。
>ヤドリギを抱く喬木たちが誇らしげにしているように見える・・・
「共いき」・・・人間には常に課題であることを自然界ではとっくにしているんですね。
調べてみたら、レンジャクが集まってくるそうですが。
他に緑が少ないからでしょうか?
ありがとうございました。
Commented by ironsky at 2010-01-25 21:32
青い空と白い雲、そこにはを落とした木の枝のシルエット。
ヤドリギもいいアクセントになっています。
澄んだ空気を感じます。
Commented by moraisan at 2010-01-25 21:34
>ハトさん、ようこそ^^
私もmiraさんのところでハトさんのコメントを拝見していました。

私が目にして気づけるいのちは多くはないと思うのですが、留まるいのちも動けるいのちも、
たいへん多くとかかわりながら、誤解を怖れず言うなら気遣いながら生きているように見えます。
だから時に不可思議に見えるような事柄も、道理にかなったことであるのかもしれないと思うことがあります。

落ちた実を拾うことがありますが、ヤドリギの実は甘く瑞々しいものです。
その割にはそれを啄ばむ鳥が限られているように思われて、さてそこにどんな約束があるのやら‥
そんな謎のひとつでも、いつか解ける日があるかもしれない‥どこかで思っていて歩くのでしょうか^^
Commented by moraisan at 2010-01-25 21:44
>ironsky さん、こんばんは。
木々が繁っている頃には少しも気にならないくらい、巧みに隠れているものもあります。
静かに眠る林にあって確かな息づきを感じるヤドリギは、この季節ならではの楽しみです^^
Commented by namiheiii at 2010-01-26 18:50
「ともいき」・・・この言葉「生かされている」とともに私にとって忘れられない言葉になりそうです。
Commented by moraisan at 2010-01-26 22:32
>なみへいさん、こんばんは。
「ともいき」‥ それを(人の世に)見ようとしては絶望したり、
それを(いのちに)垣間見ては引き起こされて‥ 
今日まで歩いてきたように思います。


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